人間は誰しも、小さな『ごまかし』をしたりするものですが、許されるものと、そうでないものがあります。
『ごまかし』から『不正』につながる人間の行動パターンは、小さな『ごまかし』から大きな不正に発展するもの。
不正に対する考え方は、3つの基本要素から成り立つと。
犯罪から得られる便益、捕まる確率、捕まった場合に予想される処罰、の3要素。
合理的な人間は、最初の要素(便益)と残り2つの要素(費用)とを天秤にかけて、1つ1つの犯罪が実行に値するかしないかを判断します。
具体的な例が駐車違反。
会議に遅れそうになったA氏は、駐車場が満車だったので駐車禁止の違反リスクを冒して、路上駐車することに決めました。
A氏は、罰金と会議に間に合うことの便益を比較し、天秤にかけたのです。
善悪の判断ではなく、起こり得る好ましい結果と好ましくない結果を比較しただけ。
このような仕組みを、「合理的犯罪モデル」と呼んでいます。
これだと、より多くのメリットがあるとき、もっと『ごまかし』をするべきだということになります。
対して、行動経済学では、不正の動機となるのは、主に個人の「つじつま合わせ」であるとします。
「つじつま合わせ」は、人間は正直でありたいと思いながら、一方でずるをして得をしたいとも考えます。
そのせいで「正直な人間」という自己イメージと実際の行動との間にズレが生じることがあります。
利己的な欲求を正当化する能力が高まると、つじつま合わせも大きくなり、その結果、不正行為をしても違和感を覚えにくく。
逆に、不正を減らすために必要な要素として「道徳心」があります。
『ごまかし』をしたくなるような状況においても、便益側に天秤が振れようとも、自制を促す、道徳心。
損得だけでは人間は動かないと、そう考えたいし、そうあって欲しいと思うのです。
また、検査不正が発覚しました。
有名企業が、経理不正や製品品質不正に手を染めている現実。
企業に道徳を求めるのは無理なのか。
合理的犯罪モデルに従い、見合わないほどのレッドカードが必要なのかも。